母親


先日、実家のある新潟県長岡市の
母が治療されている病院に
妻と行った。
内容は
昨年からステージ4、末期癌と闘っていた
母親の主治医の先生から
『親族を呼んでほしい』
と連絡が来て、
兄と自分の妻と3人で
話を聞く為に帰郷した。
内容は大まかにはこんな感じだった。
現在行っている、
抗がん剤による延命治療も
母親の身体に負担をかけるだけに
なってしまっているので
癌の治療を中止して、
余命を全うする方向に移行していく。
という内容だった。
『病院に親族を呼ばれる』
という事態だったので、
想定していた内容ではあった。
受け入れがたい話ではあったが、
受け入れざる負えない話だったので、
受け入れた。
母親はその後に
癌の影響で溜まっていた復水を抜く為に
少し病室に残ったが
その間の時間で、今後の事について話す為に
兄と妻と病院から離れた喫茶店に移動した。
今後の事について話す途中、
初めてに近いほど
兄と子供の頃の話や家族、現在の自分達の事
などをしっかりと話をした。
どこの家庭も色々あるとは思うが、
我が家も昔から色々な事があった。
元々我が家は
父親、母親、兄と4人家族だった。
しかし、
中学生の時に父親と母親は離婚し
そこから兄と自分は母親に育てられた。
子供の頃の記憶は無くなってきてはいるが、
自分が昔から抱いていた、
家族との記憶は
『とても良い家族に育てられて幸せだった。』
という記憶だった。
実際は自分が
小学校中学年から小学校高学年までの間の
記憶ですが、
その時の自分の家族に対してのイメージが
上記のような記憶を作っている。
実際に俺の中では充実もしていた。
今振り返っても色々な事があったと思う。
色々な事はあったが、
自分自身はそこまでマイナスな
イメージは無く、
どんな状況下でも全力で満喫出来る環境は
母親と兄の手によって作られていた。
(今思えば)
今野家を苦境に立たせる原因の全ては
父親にあった。
父親は良く言えば
少し変わった人だった。
悪く言えば
家族の長、そして1人の男としては
最低な人だった。
そんな父親に子供の頃から
振り回されてきた。
その父親は
家族、親族、周囲の人に多大な迷惑をかけ、
いなくなった。
そんな父親と長年?連れ添ってきた
母親はそれだけでも苦労は
絶えなかったと思う。
母親は性格的に
芯が強く、負けず嫌い、きっちりしていて
貴重面、誠実で真面目な人だ。
良く言えばそんな感じだが
悪く言えば頑固で融通がきかない。
自分は小さい頃から
母親が大好きで母親っ子であり、
素晴らしい人に育てて貰ったと思っている。
今の自分の性格の多くは母親の影響を
受けている。
しかし、大人になるにつれて
俺と母親は性格が似ている為に
磁石でいうN極とN極のように反発し、
ぶつかる事が多かった。
俺は小さい頃から活発だったので
色々な事で母親が各所に謝りに行く事も
多かったし、
子供の頃から続けていた野球を
大学でもやりたくて、
女手一つで大学まで行かせ貰った。
それにも関わらず
野球を途中で辞めてキックボクシングを
始めたり、
就職していた会社を辞めて
気がつくと今の生活をしていたり、
母親の意にそぐわない行動は
本当に多かったと思う。
挙句の果てには
色々とあったのちに、
30歳を超えた頃から
実家に帰らなくなり親族と連絡を断った。
そして昨年2月
数年ぶりに兄からかかってきた電話で
告げられたのは
『母親がステージ4の癌になったから、
いつどうなるかわからないから、
会いに来てやってくれ。』
という連絡だった。
しかし、
その時は昨年出場していた、
NKB PRIMA GOLD杯ミドル級トーナメントの
1回戦の少し前。
ここでも頑固な自分は兄から来た連絡にも
冷めていた。
親が病気になるのも
ある意味、順番みたいな物だから
しょうがない。
それよりも
トーナメントで結果を出す事が優先。
と、考えていた。
トーナメントの結果は6月中頃に行われた
準決勝で敗退。
その直後の8月に行われた
所属するジャパンキックボクシング協会の
旗揚げ戦を終えた。
その少し後、お世話になっている方のご縁で
新潟県高田市のイベントでお話をさせて頂く
機会を頂いた。
その時に急に実家の母親に会いに行く事が
頭に思い浮かんだ。
その理由として2019年は自分の中で
そのトーナメントにかけていて、
自分の生活スタイルも大きく変え、
思い切って
練習中心の生活に切り替え、
本気でトーナメントを
取りに行く環境を作った。
その結果の準決勝での完璧なKO負け。
そこまでの想いを込めて挑んだ試合の
結果だからこそ
自分の中で少し区切りが
付いたからなのだろうか?
ご縁で新潟県の高田に行くのであれば、
母親の容態がそこまで悪いなら
長岡市まで行って実家に寄ってみよう。
と、思えるようになり、
実に数年ぶりに妻を連れて実家に帰った。
その時から少しずつだが、
自分が作っていた
わだかまりも消えていった。
あの時に母親に会いに行って本当に良かったと思っている。
とはいえ、
急に連絡を取るようになる訳でなく、
普段の生活に戻った。
そんな中で昨年11月、
ジャパンキックボクシング協会の
チャンピオンに認定された。
年は越して、
正月も終わった頃に
チャンピオンベルトを母親に見せるべく
実家に帰った。
あまり、自分の感情を
見せるタイプではない母は祝福の
言葉をくれて少し喜んでくれたと思う。
見た目は元気な時のイメージとは
変わってしまったが、
会いに行くと話も出来て
対応してくれる母親に
まだまだ今の現実は続いていく事と
思わせてくれていた。
しかし、
今回の帰郷で兄から色々な話を聞くと
俺が帰る時は気合いを入れて
元気を出していただけで、
椅子にも座れず
廊下で横たわるような日もあるほど
良くない状況が続いていたのが
実際の所だったようだ。
兄と今後の今野家の墓の話や
最終的にどうして欲しいか?
の話はやりたい事ではないが、
話せるうちに聞いておかなければならない
事だと思った、
なるべく母の意思の通りにさせてあげたい。
そんな事を決めている間に
とても気になった事があった。
俺から母を見ても
俺自身が母にやってきた行動を
振り返ってみても、
母にとって辛い事がとても多かったと思う。
そして、長い間母は1人で暮らしてきた。
『母は幸せだったのだろうか?』
その事がとても気になった。
自分の事を棚に上げて今更気にしても
しょうがない事かもしれないが
自分と兄貴が子供として産まれてきて、
家族の事で辛い状況もたくさんあって、
本当に幸せだっんだろうか?
それがとても気になった。
母の復水を抜き終わった連絡を貰い、
病院に戻った。
その時は夕方で少し早かったが
みんなで夕飯を食べに行った。
母、兄、我々夫婦でご飯を食べたのは
初めてではないだろうか?
母はあまり食べれてはいないけれど、
とても楽しそうに食事をしていた姿を
見れた事はとても嬉しかった。
食後は実家に戻り
今後の話をした、
先程兄と話した事を母に伝えた。
その間も母は表情をあまり変える事はなく、
自分の今後を受け止めているようだった。
自分自身がこの先長くない事を
わかっていながら、
淡々と話しを聞き、
自分の今後を受け入れていく母に
改めて強さを感じたのと
この状況でも取り乱さずに感情を出さない母を見ていて聞きたかった事を
聞きたくなった。
もう母の口から母の気持ちを聞く事は
出来なくなるかもしれない。
今聞いておかなければ
『きっとこう思っていたんだろう。』
と、今後の人生で母の事を思いだした時に
自分自身の解釈で
母の人生を振り返る事しか出来なくなる。
後悔をしてはいけないし、
母に俺の気持ちを伝えるタイミングは
今しかない。
そう思って、母に聞いてみた。
『俺は母の思った通りには成長してあげる事は出来なかったと思うし、
母の期待を沢山裏切ってきたと思う。
自分から見ていても父親の事などもあり、
辛い思いばかりしてきたと思う。
俺と兄貴が母の子供で幸せな人生だったのか?』
少しの時間のあとに母は答えた、
あなた達が子供で良かった。と。
そして、何歳になろうが子供は子供だから、
心配であると。
怪我だけは気をつけて欲しい。
そう言ってくれた。
他人からどう見えているかは
わからないが、
俺はあまり感情が動く方ではない。
人生で涙が出るほど感情が動いた事は
片手程も無い。
色々な事を覚悟して来たとはいえ、
あと、少しの期間で
母と会えなくなると思うと
めちゃくちゃ寂しくて涙が止まらなかった。
そして、
絶対に伝えたいと思った、
今まで母に対して思っていた本心と言葉も
伝える事が出来た。
子供の頃から
母親っ子で
『お母さん、お母さん』と言っていた日から
思春期に入り迷惑ばかりをかけた頃、
キックボクシングを始めた時も
連絡を取らなくなった時も
今、現在も
そして、これからもずっと。
俺は性格が母に似ていじっぱりだから
普段は言わないが、
伝えられなかった言葉を伝えた。それは
『母の事が子供の頃からずっと、
連絡をとっていない時も、
今もこの先も
ずっと大好きで、母の子供に産まれて本当に良かった。』
と伝えた。
それを伝えた時の母の顔は忘れない。
遅すぎるかもしれないけれど、
母の子供である事に本当に誇りに思う。
母の強さを見習い、引き継いで
生きて行こうと思う。
そして、何よりも嬉しかったのが
母が妻に伝えてくれた言葉だった。
『アキラと結婚してくれてありがとうね。』
妻も母の事を好きでいてくれている。
帰り際に妻は母にハグをした。
妻に導かれて俺も人生で初めて母にハグをした。
痩せてしまった母の体はとても細くなって
しまっていた。
最後に実家から帰る時にいつも寄らせて貰う
中学の時、長岡に住むようになってから
家族絡みでお世話になっている
同級生の家に挨拶に行った、
その時に親父さんに言われた言葉が
心に残っている。
『アキラ、お前の母ちゃんは本当に強い人だ。お前の母ちゃんが弱音を吐いているのは
見た事がない。俺はお前が帰ってきて
母ちゃんとそういう話が出来た事が
本当に嬉しい。母ちゃんは最後に家族
という物がどんな物か?というのをお前に
教えてくれているんだぞ。』
と、言ってくれた。
どんな状況でも考えてくれている
母親の存在が今更ながら
自分の中で本当に大きい存在である事に
気がついたのと、
あれから、母の事を思うと涙が溢れてくる。
この先の時間を精一杯幸せだと思える時間に
してあげられるように努力をしたい。
※意外と自分が持っている母親の写真は少なかった。
少しでも増やせる努力をしよう。

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